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堀出神社
【鎮 座 地】 茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦178
(旧那珂郡前渡村前浜)【 祭 神 】 誉田別尊(ほむたわけのみこと) 【境内神社】 第六天神社
面足命(おもだるのみこと)
惶根命(かしこねのみこと)
月読神社
月読命(つくよみのみこと)
稲荷神社
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
難産除社
誉田別尊(ほむたわけのみこと)
【 大 職 】 奉献堀出明神祭庭 昭和47年9月吉日 神宮大宮司徳川崇敬 謹書 【 神 紋 】 右三つ巴 【 境 内 】 769.42坪 【 氏 子 】 530戸 崇敬者500人
ご由緒HISTORY
黄門様もお参りした
御神徳高き八幡さま
由緒沿革
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BACK GROUND
寛文11年(1671年)8月13日、岡見伝五右エ門尉吉高(14才)の記した由来記によると、磯崎大明神(酒列磯前神社)をはさんで前浜、平磯両村の境界論争がつづいたので、寛文3年(1663年)8月13日、岡見弥次右衛門尉吉為、前浜村庄屋弥右エ門、組頭太郎右エ門等検分途中、路中吹きはげの所に備前焼で忌垣二重に囲い内くぼみになっておる処を見つけ、案内にそこを掘らせたところ、石廊あり、中から刀、折れた脇差、槍、鉾3枚、矢の根、具足、州枚形からがね2枚、天目などが発見された。
この品々はさっそく水戸城中へ送られ、詮議の結果「磯前明神の本体であろう」と結論されたので、前浜村鎮守を望む地元の意向をくんで、岡見吉為が小社を建てた。
その後同11年正月、寺社奉行北河原甚五右エ門、山県源七、横田庄三郎等のはからいで水戸藩の許可を得、同年8月13日に社殿造営竣功し、遷宮式が厳修されたという。神体の御神鏡は藩主光圀公の奉納。古墳の発掘されたところは現在不明であるが、町内小池親氏神に堀出宮神魂石という石が祭られている。
明治6年4月1日村社に列格、大正元年10月28日(第148号)供進指定、昭和27年8月宗教法人設立。
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宮司挨拶
堀出神社ホームページをご訪問頂きまして有り難うございました。当神社考古学者で知られている徳川光圀公が塚を掘り起こした際、御神体が出土されたことにより鎮座された比較的新しい神社です。
社名は、「掘って出た」ことにより堀出(ほりで)神社と命名されました。古くから学問・厄除け祈願の八幡さま・・と信仰されて来ました。また、日本一の干し芋(かんそ芋)の先駆者(小池吉兵衛公)の銅像もまつられています。夏は海水浴・冬は干し芋の郷におこし下さい。堀出神社宮司 宮本正詞